トライリンガル子育て旅記録

日英ハーフの子供達のトライリンガル子育て記録

海外ワーキングマザーの平日タイムスケジュール

他のブロガーさんにインスパイアされて、備忘録・記録のために書いてみたくなりました。誰の役にも立たない情報😅

 

6時半 目覚ましが鳴るけどスヌーズ…←朝弱い

 

6時45分頃 旦那起床←朝強い

 

7時頃 私やっと起床、コーヒーを飲んでぼーっとしつつ朝食を摂る

 

7時15分頃 私か旦那が子供達を叩き起こす

 

7時半〜7時55分 子供達朝食、身支度、次男が学校で朝食べるおやつの用意(長男は要らないらしい)

 

7時55分 子供達登校(徒歩)の時間。旦那と交代で途中まで一緒に歩く。時間に余裕のある時は帰りにスーパーに寄って夕飯也、子供達とナニーのお昼ご飯の買い出し

 

8時半 出勤(車です)。主に金曜日に在宅で仕事する時はこの時間帯に洗濯したり掃除したり家や子供のアドミンしたり。

 

9時前 オフィス到着

 

9時〜12時 毎日back to back meetings。トイレ行く時間も無いほど!

 

12時 ミーティングか、無い時はデスクラン

 

午後も17時までミーティング。パワポ作ったり、数字見たり等、アウトプットを出す時間がないので、ミーティングにオンラインで参加しながら横でマルチタスクする事多々あり。でもこれするとミーティングで意見聞かれて『え?何の話?』とか『ごめんなさい、もう一度質問を繰り返して頂けますか。』とかやらかしちゃう事あるある。

 

17時〜17時半 オフィスを出る。前持って準備出来ていなければスーパーに寄って夕食の買い出し。忙しければ忙しい時ほど回っていなくて、作り置きとか買い置きとかを考えたり作ったりするキャパがありません。今日は18時半頃スーパーで、食べたい物無いし、何を買えば良いか分からなくてちょっと泣きたくなった。

 

18時〜18時半 帰宅、夕飯作り。子供達はテレビ時間。

 

18時半〜19時 夕飯

 

20時まで自由時間。旦那が次男に構ってあげる時間。私は主に放心状態だったり、スマホ見たり、仕事を終わらせたり。今日は終わらせたい作業があったのにPCが立ち上がらなくて疲れが2倍に感じました。長男は一人で勝手に遊んでくれて助かります。長男は午後の間に宿題を終わらせています。たま〜に、特にテストの結果が良くなかった時は、次のテストの準備を手伝います。

 

20時〜20時半 子供達就寝の準備

 

20時半〜21時 読み聞かせ

 

21時 子供達就寝

 

 

こんな感じです。

 

 

回っていないです…。

 

 

目下の悩みはもっと健康的な食事(夕飯)を摂りたい事。旦那は料理嫌いだし、スーパーでは美味しくて健康的なお惣菜が無いし、アウトソースする充も無いし、解決策が見つかりません。もう一つの悩みは運動する時間も体力もない事。更年期前なので、更年期対策として健康体で備えたいのですが、中々実現しません…。

 

 

 

 

 

子連れローマ旅行7 〆は海で

ローマ旅行最終日は子供達に約束していた海へ行きました。フィウミチーノ空港より北にあるフレゲネと言う街へ行きました。

 

 

ビーチクラブに入場料と傘のレンタルとラウンジのレンタル代を払います。30ユーロぐらいでした。受付のおばちゃんは英語出来ないけど若人は英語が通じました。

 

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レストランは写真から見ると美味しそうでした!行けなくて(食欲が無くて)残念。
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傘やラウンジや部屋(物置?)をシーズンレンタルしている人が多いみたいです。
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プールはベビー用と大人用と二つありました。
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海です!冷たかったです🥶でも子供達は大喜びでした。浅かったので安心して遊ばせることが出来ました。

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黄昏プーさん。
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他の(ティーン)男子の真似をする兄弟。
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11時頃着いて15か16時過ぎまで終始ぼーーっと過ごしました。子供達は貝殻広いやらに夢中で忙しくしていました。

 

 

最終日に疲れを取る事が出来て良かったです💙

 

 

 

子連れローマ旅行6 ボルゲーゼ美術館

ローマ滞在9日目。連日の暑さと観光の疲れが溜まって来てます😅

 

ボルゲーゼ美術館を訪れました。

ローマ市内、広大なボルゲーゼ公園 の一画にあるこの美術館には、ボルゲーゼ家歴代の美術コレクションが展示されている。ボルゲーゼ家はシエナ出身の貴族で、教皇パウルス5世を出した名門である。

美術館の建物は、シピオーネ・ボルゲーゼ(1576- 1633年)が夏の別荘として建てたもので、1613年ごろ着工。完成は1616年(1621年とする資料もある)。シピオーネ・ボルゲーゼは枢機卿であり、当時の芸術家に多くの作品を注文したパトロンでもあった。

出典ボルゲーゼ美術館 - Wikipedia

 

パウルス5世に関しては

時代の制約を免れえず、ネポティズムに従って親族を盛んに教皇庁に登用した。特に枢機卿にあげた甥のスキピオ・ボルゲーゼが権力をほしいままにし、ボルゲーゼ家の台頭をすすめた

😫

出典パウルス5世 (ローマ教皇) - Wikipedia

 

 

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美術品は凄いのですが、疲れていたので吸収出来ませんでした。

 

 

それよりも美術館の地下にあるカフェのクロワッサンがフランス式で美味しかったです(どうでも良い情報)!花より団子。イタリア式のクロワッサン(コルネット)よりもフランス式が好きなので、まさかのフランス式に出会えて嬉しかったです。コーヒー(カプチーノ)も、その辺の適当な店の適当なカプチーノと違って(イタリア人はエスプレッソ派だから仕方ない)、美味しかったです。ボルゲーゼ美術館の一押しはカフェです😆

 

 

ボルゲーゼ公園を4人乗りの自転車で巡りました。これが最も楽しかったです😆


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子連れローマ旅行5 バチカンとサンタンジェロ城

ガイドさん付きのローマ旅行3日目はバチカン訪問!

 

 

ガイドさんのお勧めで先ずは美術館から。宗教的な物よりエジプトのミイラとかの方がお子供達が喜ぶでしょうと言う計らいから。20年前にローマを訪れた時はミュージアムは見なかったので、私にも新鮮でした。

 

バチカン美術館は、歴代ローマ教皇の収集品を収蔵展示する世界最大級の美術館である。16世紀末に教皇ユリウス2世により創設されたこの美術館は、世界で最も大きな美術品コレクションの一つであり、歴代の教皇が蒐集した美術品の膨大なコレクションを展示している。

出典バチカン美術館 - Wikipedia

 

 

我々が巡ったのはエジプト美術館(グレゴリウス16世(在位1831年 - 1846年)により開館。古代エジプトの出土品を展示)とエトルリア美術館(グレゴリウス16世によって開館。8つの展示室から構成されるこの美術館では、エトルリア時代(古代イタリア)の重要な出土品の美術品を展示する。ギリシャの壷のコレクション、ギリシャ・オリジナル彫刻の間が隣接する。)

 

 

目から鱗の宝庫でした…。

 

 

宗教の目指すところ、意義って何?お金の使い方が違うんじゃない?キリストはこんな結果を描いて無かったと思うけど…って突っ込まずにはいられませんが、信仰の自由!発言の自由!深く考えない!美術館は機会が有れば又ゆっくりと見たいです。

 

 

博物館を巡った後はバチカン絵画館(レオナルド、ラッファエッロ、カラヴァッジョ等の画家の作品を展示)をサーっと見て、近代宗教美術コレクションフランシス・ベーコンシャガール、ダリ、ポール・ゴーギャンカンディンスキーマティス、ファン・ゴッホ等の画家の作品を展示)を又サーっと通り抜けて、システィーンチャペルに到着。

 

 

20年振りに訪れるシスティーンチャペルは、初回の時の様な感動が湧きませんでした。何故でしょう。疲れていたのか。他のコレクションの方が面白いと感じたからでしょうか。

 

 

最後はサン・ピエトロ寺院バチカンで撮った写真はこれだけでした。

 

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お金と権力が集い過ぎてますね。

 

 

バチカンを最後にガイドさんとお別れしました。

 

 

ガイドさんとは別行動でサンタンジェロ城 - Wikipedia城も訪れました。涼しくて、子供達が走り回れる場所をお探しで有れば、お勧めです。

 

上からの眺め。


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子連れローマ旅行3 フォロロマーノ〜コロセウム

【火曜日】フォロロマーノ〜コロセウム

 

今回の旅で初めてガイドさんを雇いました。ローマ出身で大学では考古学を専攻されたアルフレードさん。

 

 

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ガイドさんと凱旋門で待ち合わせました。

 

ティトゥス凱旋門

ティトゥス凱旋門は、イタリア・ローマのフォルム・ロマヌムにある古代ローマ時代の凱旋門。82年、ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスにより、先代皇帝でドミティアヌスの兄でもあるティトゥスエルサレム攻囲戦等での戦功を称えるため建てられた。

出典ウィキペディア ティトゥスの凱旋門 - Wikipedia

 

 

ラティーノからの眺めが絶景です。

 

コロセウム
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フォロロマーノ
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フォロ・ロマーノは、古代ローマの中心部「フォルム・ロマヌム」の遺跡である。古代ローマでは、たいていの都市に政治・宗教の中心としてフォルム(英語のフォーラムの語源)と呼ばれる広場が置かれていたが、このフォロ・ロマーノは首都に開設された最初のフォルムであり、最も重要な存在であった。ローマでは、後に諸皇帝によっていくつかのフォルムが建設されたが、3基のバシリカ元老院議事堂を備えたフォロ・ロマーノは、そのなかでも中心的存在として機能し続けた。

出典フォロ・ロマーノ - Wikipedia

 

フォルムとは『外』と言う意味。フォルムがパラティーノ(富裕層の住宅街)の『外』にあったことから由来するらしいです。

 

紀元前6世紀頃から293年にかけて、国家の政治・経済の中心地であったが、ローマ帝国が東西に分裂し、首都機能がラヴェンナに移されると異民族の略奪に曝されるようになり、西ローマ帝国滅亡後は打ち捨てられ、土砂の下に埋もれてしまった。

 

フォロロマーノは、何世紀もかけて幾度も上に増築されました。ティトゥス凱旋門を例に見ると、凱旋門が建設された時代の道路の高さとそれ以前の物を見る事が出来ます。我々が今日見れるのは本の上層部で、地下深くに更に遺跡が埋もれて居るそうです。

 

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フォロロマーノ周辺を象徴するのがローマの至る所で見られるSPQR。Senatusがカピトリーノ、人民市民の象徴がフォロロマーノ

SPQRとは、ラテン語で「Senatus Populusque Romanus」(セナートゥス・ポプルスクェ・ローマーヌス)の略語である。その意味は「ローマの元老院と人民(市民)」、すなわち古代ローマの国家全体(共和政ローマローマ帝国)の主権者を指す。

出典SPQR - Wikipedia

 

 

フォロロマーノの後は子供達が一番楽しみにしていたコロセウム。

 

コロセウム・コロッセオ

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コロッセウム(コロッセオ)は、ローマ帝政期の西暦80年に、フラウィウス氏族のウェスパシアヌス帝とティトゥス帝によって造られた円形闘技場。建設当時の正式名称はフラウィウス円形闘技場

 

フラウィウス朝の皇帝が建設者であることから「フラウィウス円形闘技場」が本来の名前である。しかし、ネロ帝の巨大な像(コロッスス)が傍らに立っていたためそれと混同してコロッセウムと呼ばれるようになったという説や、円形闘技場があまりにも巨大な建物であったからコロッセウムと呼ばれるようになったという説がある。

出典コロッセオ - Wikipedia

 

円形競技場をアリーナとも言いますが、Rena とはイタリア語で『砂』という意味。競技場の床が木造でその上に砂が撒かれてた事が由来だそうです。

 

 

このコロッセオは当時は新コロセウムと呼ばれていました。でも旧コロセウムが何処にあったかは不明だそうです。

 

 

競技は荒々しい内容だったそうで…。午前は猛獣の戦い、午後はグラディエーターの戦い。競技場の床下(地下)に動物を囲い、エレベーターで競技場に登場させたそうです。ハイテクです。

 

 

競技場の建設も競技自体(グラディエーター達)も多くの奴隷が犠牲になり、後日8歳の息子にローマの感想を聞いたら『奴隷が沢山居た』って印象をが強かったみたいです。😓


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フォロロマーノとコロセウム併せて3時間のツアーでした。ガイドさんの案内のお陰で効率的で充実した名所巡りでした!子供達にも辛抱強く接して頂く、暑さに挫けそうな子供達でしたがガイドさんにモチベーションを鼓舞して頂きました。

 

 

 

 

 

 

子連れローマ旅行4 オスティアアンティカ

【4日目】

 

ガイドさん付きのローマ観光2日目は

オスティアアンティカを訪れました。

 

 

出典ウィキペディア

オスティア・アンティカ(イタリア語: Ostia Antica)は、イタリア ラツィオ州ローマ市のオスティア地区にある古代ローマ時代の港湾都市遺跡。ローマの南西約22kmのテヴェレ川河口部に位置する。そのことから、ラテン語で『os (河口) + tia (テヴェレ)』という地名が付けられた。土砂の堆積により、現在は海岸線から3km内陸に位置しており、遺跡の保存状態も良好である。

 

考古学的な記録によれば、オスティアの町は紀元前4世紀の初頭まで遡ることができる。ローマは紀元前396年にウェイイを征服するとともに、オスティアの支配を強固とするため頑丈な石造りの城壁と塔によって守られた城塞を造った。この地はまた、ギリシアシラクサによる侵攻の脅威に対する防衛拠点としても重要で、紀元前3世紀から2世紀にかけて勃発したポエニ戦争ではローマ海軍の主要拠点となった。カルタゴを下し地中海の制海権を得た後、オスティアは軍事的機能より商業的機能がより重視されるようになっていった。

より詳しくはオスティア・アンティカ - Wikipediaをご参照ください。

 

 

貿易に支えられて栄えたオスティアは一時期は人口が五万人を超える大都市でした。2階建てや三回建てのアパートやマーケット、シアター、数多くの公衆浴場が有りました。ローマ帝国の豊かさを人々の暮らしの観点から観察・体験出来ます。

 

 

立派なモザイク画。魚の絵があれば浴場の印。

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劇場の入り口。

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大通り。木は1920年代、30年代に植えられた。
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裕福な一家の跡。
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フォーラムからの眺め。
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マーケット。
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兄弟二人でコソコソ内緒話w
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オスティアの観光だけで3時間があっという間に過ぎました。この日もカンカン照の猛暑でしたが子供達はまた頑張ってくれました。要所を押さえたガイドをしてくれたアルフレードさんにも感謝です!

 

 

行きは子供達の省エネのためにタクシーで行きましたが帰りはアルフレードさんの勧めもあって電車で帰りました。一本でローマ市内に戻れますし15分おきに走っていますので便利です。でも終着駅から仮アパートまで又タクシーで戻りました😅暑過ぎて…。

 

 

 

 

 

子連れローマ旅行 2

【3日目】月曜日

 

朝は花嫁のお友達とブランチしながらキャッチアップ出来ました。場所はスペイン広場の上にあるホテル。ガーデンテラスが居心地良かったです。その後はパラティーノを訪れました。

 

 

ラティーノ

 

ローマの七丘のうちの一つで最も歴史が古いといわれています。古代にはローマ建国の英雄ロムルスとレムスがかつて住んだとされ、その後貴族の邸宅が建てられ、のちに初代皇帝アウグストゥスを筆頭に歴代の皇帝の宮殿が建てられました。

出典:ウィキペディア

 

 

炎天下の為子供達は終始ブーイング。今回のローマ旅行は炎天下の予定では無かったのだけど、今年は異常気象なのです。元々の予定は炎天下の真夏を回避する為に、例年で有れば30度以下の6月に、結婚式への参列を兼ねて訪れたのです。でも計画が思い切り狂いましたね〜。暑い気持ちは分かる。我々も暑い。付き合ってくれてありがとう。

 

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この後は一旦アパートに戻ってダウンタイム(子供達はテレビタイム)。

 

 

夕方近くにパンテオンを再度訪れたら平日だった為かすんなり入れました。

 

パンテオン

 

最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造されましたが、後に火事で焼失しています。2代目の(即ち現在の)パンテオンは118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されました。床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2mで、頂上部分にはオクルス(oculus, ラテン語で「目」の意)と呼ばれる採光のための直径9メートルの開口部があります。

出典:ウィキペディア

 

目。ローマを訪れるのは2回目ですがそれでもやっぱり圧倒されます。
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でも同じドームならイスタンブールのハヤソフィアの方がもっと感動的だったかな。

 

 

Obelisk of Montecitorio

 

ローマ皇帝アウグストゥスによってエジプトのHeliopolis から 紀元前 10 年に運ばれて来ました。元々はアスワン(ナイル川)の街で掘った石を使ってエジプト神話の太陽の神様を祭る為に作られました。時代は Psamtik 2世(紀元前595–589)。ローマに運ばれた後は日時計の為に使われました。

出典:ウィキペディア

 

 

そんな大昔にこんなに巨大な物を作り、その後に海を渡って運べたテクノロジーが凄い。(多分相当の奴隷が犠牲になったのでしょうけど…。)そしてこれを崇める観光客は皆無…。ローマは歴史で溢れ過ぎですね。


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この日の夜は確か観光客向けのお店で食べました。写真が無いので特筆すべき事はないって事ですね。子連れ旅行ではグルメのプライオリティは残念乍最下位から二番目ですかね。😭最下位はショッピング。😭😭